一目惚れという言葉が相応しいと思います。
職場の営業研修で東京多摩地区の西部を歩いている時の事です。私の目の前になんだか「凄い」車が現れました。中古車屋の最前列に並んでいる深紅の300ZR。異常なまでの存在感を放っています。ボルクレーシングの深リムGT−P 17inchアルミと極太タイヤ。ボディと同色にペイントされたリアスポ。程よくローダウンした足回り。どっから見ても私の200ZGとは違う車です。
しかしプライスはちょっと高め。
悩んでいること数日、休日に試乗に出向くと、なんと約20万円のプライスダウン! 即仮契約書にサインしたのでした。
この300ZRを購入してから本当にいろいろ走り回りました。首都高や湾岸、どこを走っても目立ちまくりで、20歳になったばかりの私には最高の宝物だったのは言うまでもありまえん。
しかし、そんな300ZRに別れを告げる時がきました。
理由は簡単です。当時この300ZRと共に日々を過ごしていたガールフレンドに別れを告げられたのです。それは20歳の私にとって初めて味わう大失恋でした。
一緒に撮った写真やグッズは全て捨て、思い出の多いZ31とも決別。(車の写真は捨てなきゃよかったな〜)
新たな相棒RX-7 FD3Sを手に入れたのでした。
そして運命の200ZRに出会う
200ZRに搭載されているRB20DETは極めて初期のタイプであるが、その後改良型のRB20DETやRB25DET、そしてRB26DETTの登場によって、RBエンジンは長期にわたり日産スポーツカーエンジンの中枢を担うことになる。
そういった背景のおかげで、200ZRはチューニングカーとしても人気を集め、セントラル20・RS YAMAMOTO・TBOといったショップによる最高速トライの車両にも採用された。そして数々のチューナーが手掛けた200ZRが次々と誕生し、当時の国内最高速を樹立するなどの功績を残したのであった。
失恋の痛みからZ31に別れを告げFD3Sを購入した私でしたが、Z31に対する愛情が復活するまでに時間はかかりませんでした。逃げた彼女に未練は無いが〜♪ Z31には未練たらたらだった訳です。
FD3Sのパワーにも運動性能にも満足していたはずなのに、なぜかコンビニでカーセンサーに手が伸びる。見るのはもちろんフェアレディZの項。もちろん平成元年以前の年式です。
そんな日々を送っているある日、カーセンサーで平成元年式の200ZR・走行58000kmというのを発見。2シーター・MT、しかも比較的近所の中古車屋です。
当時、本当は「赤」を探していたのですが、その車の項には「黒パール」と書いてあります。
「黒パール」そんな色があるのか?
この後の展開は想像に容易いと思います。
斯くして現在の愛車200ZR(240ZR)と運命の出会いを果たし、あっと言う間に10年が過ぎました。
細かいトラブルに泣かされたことも多々ありますが、エンジン本体やミッションなどの致命的な故障は一切無く、今も元気に走っている事を考えると、良い買い物だったなあと思っています。
強いて言えば、K26タービンとウエイストゲート・セントラルのECUもセットされているのに「ノーマルです」って平気な顔をして売っていた車屋! コラッ!
でも、そのK26タービンは現在でも絶好調でビュンビュン回っています。ノーマルセラミックタービンならとっくの昔にブローしていたでしょうから、これも結果オーライでした。